Words and Feathers

ボカロ・旅行記・夢日記などつれづれに。

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どうでもよいこと

ついったーとかブログとか、誰かが読むことを意識して書いてるとは思う。
でも積極的に読んで欲しいわけじゃないことも書く。
ネットでやってることを、オフラインの人には絶対知らせないし、
自分の考えとかを、とりあえず形にして置いとくだけで、
読まれたい訳じゃなく、感想とかも欲しくない感じのもの。
それを元にして、今度は読んで欲しいものを書いたりする。

私は、音声でのコミュニケーションでは考えがまとまらないし、
何かに対する理解も深まらない。
新しいこと憶えるのも、人に聞くよりはマニュアルを読みたい。
考えも、書き出してみてまとまるタイプ。

今から書くのも、そんなどうでもいい思いつきのメモです。
多分明るくはない話なので、苦手な方はスルーで。

自分について話すことが出来ない訳じゃないんだけど、
「話して」って言われると何を話したらいいのかわからなくなる。
こういう場で、一方的に書くのは好きなような気もする。
でも「何か話して」って言われて、自分の中をのぞきこむと、
なんだか黒い空洞が見えて、自分の記憶とか感情とかふっとんでしまう。
「○○について話して」って言われると、それが出てくるんだけど。

自分のことを隠さず話せている(ように見える)人を見ると、
どうしてだろうと思ってしまう。
悩みとかも自分から話したがるし、「友達だから何でも話して」って言う。
何かやらなきゃいけない時には前に出て動く自分は、
そういう時は後ろに引っ込んでしまう。

別にそういうことをおせっかいだとか非難してる訳じゃない。
多分それが普通で、自分の方がひねくれてるのだろう。
その関係に加われない自分が悔しくて、こうして書いてるのかもしれない。

以前の仕事で私は「生徒」というものを受け持っていて、
彼らの悩みについて話し合うのも役割のひとつだった。
(学校じゃないし、私はカウンセラーじゃないけど)
ある時に研修で、あまり親しくない同僚と出張に行った。
親しくないというか、私が苦手で避けてたんだけど。
夜にホテルに帰って、本当はそのまま部屋に引っ込みたかったけど、
その同僚は年下でもあるし、夕食ばらばらなのもあんまり不自然なので、
私から夕食に誘ってみた。
で、なんとなく流れで部屋で飲むことになった。

色々話してて、多分その研修自体がそういう内容だったからだと思うんだけど、
なぜか私は、ほとんど誰にも話したことのないトラウマについて、
ぽろっと彼女にもらしてしまった。本当にどうしてかわからない。

彼女は私の言葉を聞いて、一瞬の間を置いてから
「話してくれて有難う。私、すごく嬉しい」と笑顔になった。
そして、自分の似たような経験について長々と語り始めた。

彼女の笑顔を見た瞬間、私の胸に浮かんだのは絶望だったと思う。
私の一番辛い記憶を聞いて、彼女が感じたのは
「自分を信用してもらえた喜び」だったんだ。私の哀しみじゃなくて。
もちろん彼女も精一杯だったろう。
自分が人から信頼されない辛さを味わっていたのだろう。
そういう相手に、求めるべきでない言葉を求めた自分の判断ミスだと思う。
彼女は、相手の不幸より自分の不幸で頭がいっぱいだったのだろう。

不幸って言うのは本当に個人的な体験だし、
それを他人が自分のことのように理解するのは、本当に難しい。
何の留保も判断も無く、自分の経験とも比較せず受け入れるなんて、
本当に人間にできるんだろうか。

よくカウンセリングの本では、人の話を聴くときに、
「自分の判断や助言を加えず、ただ聴くこと」みたいに書いてる。
でも私は敢えて助言するし、助言できそうな内容でなければ聞かない。
相手から「ただ聞いて欲しい」と言われれば別だけど、
「話すだけで相手を楽に出来るような聴き方」は素人には出来ない。
私が傷付いたように相手を傷付けることもあるし、
ひどい場合には相手のトラウマが堰を切ったように溢れ出してしまって、
収集がつかない状況になってしまい、社会生活も人格も崩壊してしまう。
「悩みを聞く」って本当に難しいし、危険なことなのだ。

それよりも私は、現実的に解決する手段を提供したい。
そしてその手段を「あるよ」と提示するだけで、
使うか使わないかは相手に決めてもらう。使われなくたっていい。
私の意見なんてスルーしてもらっても構わない。
他に、その人が救われる手段があるなら、それに越したことはない。

「生徒」が自分にだけ悩みを話してくれたら、それは嬉しいと思う。
もし自分以外の人を頼ったら、すこし寂しいと思う。
それはきっと、誰でも同じだ。
でも、悩んでいる相手に「差し伸べられた手を取らなければ
この人を傷つけてしまうかも知れない」と更に悩ませることは絶対にしたくない。
もし他に取ることの出来る手があるなら、それで充分なのだ。
そして、他に取ることの出来る手があることを喜びたいのだ。

自分にしか救えない「生徒」なんていてほしくない。
みんなに救われて、幸せになってほしいと思う。

もし、悩みがあって、どうしたらいいかわからなくて、
誰にも助けを求められない、誰にも話せないと思っている人がいるなら、
私は精一杯その人を勇気付けたいと思う。
まわりにある「誰か」の手を握り返せるまで。
その手が私である必要なんてどこにもないのだ。
大事なのは、その人が助かることなのだ。

私は私の中の空洞と同居することにいい加減慣れてしまって、
それを埋めるものを差し出されても、きっと受け取らないと思う。
受け取れないことを、とっても申し訳ないと思うけど、
それはドーナツの穴のように、もう私という存在と不可分なものなのだ。
でも時折、そのドーナツの穴を、
風景や色や音楽や暖かい感情が流れていって、
その瞬間に自分自身も暖かくなれるし、それが喜びだと思う。

もしドーナツを、そのドーナツの穴ゆえに、
価値を見出してくれる人がいるならば。

きっと私の強がりが報われる日も来るのだろう。
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