Words and Feathers

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必然性のない美によって損なわれた物語

※ものすごい長文ですけど、これは昨日の「更新履歴」のおまけです。

文字表現だから耐えられるけど、映像になると見るに耐えない設定が小説作品にはあり、
映像化の際に大幅な変更を余儀なくされることがある。
また、映画やドラマをヒットさせるため、わざと元より良く描いてしまうこともある。
大体において主要女性キャラは、「普通の女の子」設定でも美少女にされちゃうものだけど、
それが原作の根幹を台無しにしてしまうこともあるから、結構怖い。

ということで、以下「ゲド戦記」と「ハリー・ポッターシリーズ」のネタバレを含みます。
ハリポタはそうでもないけど、ゲド戦記をこれから読む予定の方はご注意ください。

スタジオ・ジブリの「ゲド戦記」は、とにかく酷評される作品である。
原作者にも、原作ファンにも、原作を知らないアニメファンにも受け容れられないって、
珍しいほどの失敗作だと思う。
その理由は色々あるだろうけど、とりあえず「何故テルーを可愛く描いたのか」について。

原作のテルーは、幼い頃に親に虐待されて火の中に放り込まれ、焼かれた少女だ。
顔の半分に骨にまで達する火傷を負い、片目はつぶれ、周囲からは「バケモノ」と呼ばれる。
一方ジブリ作品では、大きなあざはあるけれども、顔立ちの整った美少女になってしまった。

アニメ作品である以上、子供が観てトラウマにならない配慮は必要だし、
アニメファンの期待する美少女キャラの必要性も理解できる。
ただ、原作においてテルーがあのような異形に描かれた理由の重要性は、
アニメ制作上の都合よりもはるかに大きいのが明らかなので、
ここは変えてはいけない部分だった。
もし美少女キャラが必要なら、オリジナルで別の人物を作れば良かったんじゃないか。

ゲド戦記の1~3巻は、大賢人ゲドを中心としたファンタジー小説であるが、
(2巻はテナー、3巻はレバンネンが主人公となる)
18年のブランクを経て出版された4巻以降は、全く異なる価値観で書かれている。
2巻でゲドに地下神殿から連れ出された、かつての少女巫女テナーは中年の未亡人となり、
彼女が引き取った被虐待児テルー、そして魔法の力を失った元大賢人ゲドが中心人物だ。

作者のル=グウィン(女性)は、自分が執筆した3巻までの物語が、
男性的価値観による世界であることに疑問を抱くようになり、
ファンタジーの世界にフェミニズムの概念を持ち込んだ。
「女性」「子供」「障害者」「無職」「老人」という社会的弱者を、あえて主人公にしたのだ。
この世界での彼らの扱われ方は本当に酷くて、ファンタジーというよりは、
現実の社会の歪みを描くのが目的のように思える。

だから、4巻以降はゲド戦記と認めたくないファンもいるだろうし、
1~3巻までの男性目線ファンタジーの方が一般受けがよく、面白いのは理解できる。
しかし受け容れようと受け容れまいと、ル=グウィンが書いた4巻の主題は、
社会的マイノリティに対する彼女の考えの表れなのだ。
これは絶対に尊重されるべき点だったはずだ。

だがジブリ作品では、ゲドはまだ魔法の力を失っておらず、テナーはまだ魅力的な女性だ。
ベースにした舞台が3巻であるから、その点は許されるかもしれない。
しかしテルーだけは駄目だろう。もともとテルーは4巻からの登場人物なのだ。
もし映画を1~3巻の男性目線ファンタジーで描きたかったなら、登場させるべきでなかった。
フェミニズム視点の象徴であるテルーを、男性の期待する美少女に変化させた時点で、
スタジオ・ジブリ(吾朗監督だけでなく)が、原作を全く理解していなかったことになる。
信頼してアニメ化の許可を出した原作者は、本当に悔しかっただろうな。

同じく原作に反して美少女にされちゃったという点で、
ハリー・ポッターシリーズのハーマイオニーが挙げられるのだが、こちらは全く事情が異なる。
原作者のローリングは、映画化に関して細かい部分まで係わっていたのだから、
ハーマイオニー役にエマ・ワトソンを選んだのも、彼女の同意があってのことだろう。

原作でのハーマイオニーは、ぼさぼさ髪で出っ歯の女の子のはずだった。
容姿に自信がなく、自分を可愛く見せることに臆病で、
だからこそ人一倍勉強し、理論武装して社会で奮闘する女性の分身だったし、
恐らくそれは、作者自身の姿だったのだ。※出典

現代日本でこそ『委員長萌え』なんていうものもあるけれど、
ローリングの子供時代、勉強の出来る女の子はからかいの対象になりやすかっただろう。
実際のところ小説世界でも、ハーマイオニーはクラスで浮いているし、
だからハリーやロンと一緒にいて、彼らが親友なのだと思う。
原作のハーマイオニーも可愛いところはあるのだけれど、口うるさくて、うざい性格でもある。
ところが映画では、エマ・ワトソンの美少女ぶりのおかげで、
何を言っても何をやっても可愛く見えてしまうのだ。
あれはハーマイオニーが可愛いんじゃなくて、エマ・ワトソンが可愛いのだ。

もちろん映画をヒットさせるため、魅力的なヒロインの存在は不可欠なので、
ハーマイオニーを原作より可愛く描くことは仕方ない。
それにしても、他の女性キャラと比較しても美人すぎやしないだろうか。
そこで、ハーマイオニーは作者自身がモデルという話を重ねると、
なんだか作者の自己愛を見せ付けられてるみたいで、ちょっと気持ち悪い。

ハーマイオニーは4巻で、魔法の力を借りて出っ歯を小さくしてしまう。
それでダンスパーティーに出て「誰、あの美人?」となるのだけど、
まるで、新学期前に美容整形に行く女の子みたいです。

どんなに努力していても、どんなに友情に篤くても、
結局のところ「※ただし美少女に限る」という残酷な現実に加担するのは、
作者としては哀しくないんだろうか?
「あいつ、頭はいいけどブスだよな」って言われてた、かつての優等生としては、
ハーマイオニーには冴えない外見のままで、中身を評価されてほしかったですよ。
ごくごく個人的な意見ですけど。
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